ティント・ペスケラの偉大なビンテージ
2021年5月22日に88才で亡くなったアレハンドロ・フェルナンデス氏に敬意を込めて、ティント・ペスケラの偉大なビンテージを試飲する機会に恵まれました。
1932年生まれのアレハンドロ・フェルナンデス氏は、砂糖大根の収穫機械の特許で財をなし、1972年、16世紀の石造りの搾汁槽を購入し、当時、ベガ・シシリア社と協同組合しかなかったリベラ・デル・ドゥエロ地区に念願のワイナリーを設立しました。ファーストビンテージは1975年です。凝縮感と果実味にあふれたブルボディのティント・ペスケラは、1985年にロバート・パーカー氏に「スペインのペトリュス」と評価され、ボルドーにも負けないワインとしてたちまち人気となりました。アレハンドロと妻のエスペランサが生まれたペスケラ・デル・ドゥエロ村への愛情を込めて、「ティント・ペスケラ」という名前がつけられました。
1982年までは、16世紀の搾汁槽で足踏みされたブドウを使ってワインが作られていました。
この年に原産地呼称委員会リベラ・デル・ドゥエロが設立され、ペスケラ社にも近代的な醸造設備が建設されました。16世紀の搾汁槽は、博物館的な意味での保存となりましたが、唯一の例外として、これまで1982年、1991年、2003年にだけ作られた「ハヌス」は、この搾汁槽で足踏みされたブドウを使って作られました。ハヌス(ヤヌス)は、過去と未来を見る2つの顔を持つ神から名前をとっています。
誰でも自分のワインを飲めるようにという意味もあって、より安価なアメリカンオークにこだわりつつ、オークの効いたフルボディが流行したときも、決してブドウが過熟しないうちに早めに収穫するスタイルを貫いたので、古いビンテージも生き生きとしています。
1995年には、標高1000メートルのところに畑を購入し、変人呼ばわりされたそうですが、温暖化や嗜好の変化を見越していたのでしょうか。「スペインワインの革命家」と呼ばれた所以でもあります。
1996年には、2000年にリリースした、初めてのフレンチオークでの熟成に取り組みました。
4人娘のために、4つのワイナリーを作り、世界的に大成功したものの、離婚後の晩年は会社の経営権を巡って大きな裁判となり、それでも醸造家のの末娘と二人で借りたワイナリーでワインを作り続け、サンタンデールでそのワインのお披露目会をしていたときに突然倒れ、翌日には帰らぬ人となったそうです。
写真:EL PAÍS Iván Martínez
スペインワインの歴史を作り、ワインへの情熱とともに生き抜いた方でした。
心からご冥福をお祈りいたします。