ワイナリー訪問 D.O.カスティーリャ・イ・レオン Galia Galia
Jerôme Bougnaud(ジェローム・ブグノー)ピングスを支える醸造家
ジェローム・ブグノーは、1978年フランス・コニャック地方生まれ。父親は栽培農家4代目で、母親は何代目かもわからないほどの歴史の長い栽培農家です。
スペインに来たのは23歳のとき。アルバロ・パラシオスの甥であり、先日パーカーポイント100点をとったリカルド・パラシオスと、スペインではまだ一般的でなかったビオディナミ農法によるワイナリー「アタウタ」を立ち上げたベルトラン・スルデとともに、ボルドー大学で醸造を学びました。
ある年、リカルド・パラシオスは、ジェロームとベルトランをスペインでのバカンスに誘いました。まずプリオラートに出かけ、サラ・ペレスと知り合い、リベラ・デル・ドゥエロで、ピーター・シセックとファーストコンタクト。そしてビエルソで若いラウル・ペレスと知り合いました。アルバロ・パラシオスの名前のおかげで、どんなワイナリーも見学することができ、いろんなビンテージのワインを試飲することができました。若いジェロームは、非常に閉鎖的で誰も情報を共有しようとはしなかったボルドーから来たので、スペインでは誰もがワイナリーに出入りし、ワインをともに楽しんでいる様子に感銘を受けたそうです。
ベルトランは、「ドミニオ・デ・アタウタ」を始めるため、ジェロームに手伝ってくれるよう頼みましたが、結局、それほど仕事はなく、ジェロームは、ルエダの「ハビエル・サンス」で作り始めた赤ワインのプロジェクトに入りました。当時は、多くのワイナリーが赤ワインを作りたがっていました。「ハビエル・サンス」で働きだして2ヶ月ほどした頃、「アシエンダ・モナステリオ」を立ち上げようとしていたピーター・シセックに再会しました。
そして、ピーター・シセックに「アシエンダ・モナステリオ」での仕事ぶりを認められ、「ピングス」の畑を任されるようになりました。20代前半から現在まで栽培責任者を務め、ピングスを支えてきたと言っても過言ではないでしょう。
それからピーター・シセックをスーパーバイザーとする「キンタ・サルドニア」のプロジェクトが立ち上がったとき、実質、全てをジェロームがコーディネートし、現在まで醸造責任者を務めています。
「ガリア」は、2009年にジェロームが立ち上げた個人プロジェクトです。
ジェロームは、DOリベラ・デル・ドゥエロの呼称にはこだわらなかったので、畑は、ドゥエロ川に沿って135キロの中に点々と存在しています。こだわったのは、自根を含む古樹であること、風通しの良い土壌であること。
区画ごとのブドウの特徴を見極めて、それぞれに適したタンクで一次発酵すること。
2015年からは、白ブドウと黒ブドウを同時に収穫して、同時に発酵させています。白ブドウの酸化を防ぎ、全体のpHが下がるため、微生物の安定化にも有効だということがわかったからだそうです。同年から、義実家をセラーに改造して醸造を開始したので、ようやく自分が理想とするガリアが完成したと語ります。畑や、タンク、醸造方法は、ワインにとって重要なファクターだけれども、醸造施設がもたらす影響も無視できないのです。
畑から傷んでいるブドウが収穫されてくることはないのだけれども、選別テーブルを通します。ここでは、全房発酵に使う、完熟しているブドウを選びます。除梗後、粒ごとの最終チェック。驚くほど時間をかけます。
浮いてきた果皮と果汁を混ぜるのにも手や足を使って丁寧に。過度な抽出を極力避けます。
果汁の段階で、とてもピュアで緻密。
各畑ごとの熟成樽からのチェック。常に畑にいた人だからこそできる、説得力のある説明を聞きながら試飲。
メスシリンダーで、ガリア 2016 のサンプルを配合してくれて飲ませてもらったとき、まるでパズルが完成するように、それぞれの樽の個性が組み合うことに、改めて感動しました。
ジェロームは、砂地でフィロキセラの心配がない畑には、アメリカ系の代木に挿し木することなく、そのまま苗木を植えています。挿し木を植えるより、数倍も深く掘らなければならず、重労働なのですが、いつかジェロームの子どもか、孫のために、自根のテンプラニーリョを残すためだそうです。
後日談ですが、若い醸造家たちから、ジェロームがどんな話をしていたのか質問攻めにあい、再訪することになりました。いつか、叶うことならば、日本で2009年からの垂直試飲をしてみたいです。